十一月四日の昼過ぎ。
魔道士にとっての聖地であるウァティカヌス聖皇国へとカイトたちを運ぶ大型客船は、航行計画の通りに十一月四日の昼過ぎ、ウァティカヌス聖皇国で唯一大型の船舶が停泊できるスペツィア港へ入港した。 ウァティカヌス聖皇国は「世界最小の国」として知られ、その国土面積はカイトが生活するミズガルズ王国の王都プログレの二百分の一ほどしかないが、魔道士の聖地として永世中立国の立場を貫き独自の発展を遂げた国だった。 歴史的な建造物や景勝地にも恵まれ、温暖で平和な聖皇国は観光立国を成した国でもあり、多くの客船が停泊する聖皇国で唯一の港は賑わいを見せていた。 久々に踏む地面が与える安心感も合わさり、客船を降りたカイトたちの足取りは軽かった。 カイトたちはまず聖皇国内に設置されているミズガルズ王国の公使館へと移動した。 腹だけが肥えた中年太りの公使は、到着したカイトたちを歓迎して深々と頭を下げた。「公使を務めております、スペイドと申します。長旅お疲れ様でございました。聖皇国に滞在の間の諸用は何なりと私へお申し付けください」
「お世話になります」カイトが頭を下げて応じると、スペイドは恐縮の表情を浮かべながら今後の予定を口にした。
「聖皇陛下への謁見は、明後日の午後を予定しております。それまでは、どうぞゆっくりとおくつろぎください」
「はい。そうさせてもらいます」カイトたちはスペイドに案内され、ゆっくり歩いても公使館から十五分ほどの高台にあるホテルへと移動した。
客室まで荷物を運び入れた客船の乗組員に礼を言いながらチップを渡したカイトは、客室の窓を開けて聖皇国の街並みを眺めた。 港町特有の密集した建物はどれも海の青さと調和がとれていた。 活気がある美しい港町だとあらためて感じたカイトが鼻唄まじりに荷ほどきをしていると、程なくして客室のドアをノックする音がした。 カイトがドアを開けると、やや緊張した様子のスペイドが立っていた。「ロザリオ魔道士団の第三席次であられるアルトゥーラ卿が、閣下に面会を求めてこのホテルを訪れております」
スペイドの口からエルヴァの息女であるアルトゥーラの名を聞いたカイトは、スペイドが緊張している理由を察した。
「分かりました……アルトゥーラ卿はどちらに?」
「ロビーでお待ちです」 「では、セリカ卿とステラ卿に声をかけてからロビーに降ります」 「かしこまりました。アルトゥーラ卿には私よりお伝えしておきます」深く頭を下げたスペイドは、足早にロビーへと先に降りた。
カイトは軍服に乱れがないか確認してから、セリカとステラの部屋を順に回ってからロビーへと降りた。 ロビーでカイトたちを待っていたのは、快活さと可憐さが見事に調和する長身の女性だった。 艶やかな黒髪をポニーテールにまとめている女性の瞳の色は、エルヴァと同じ琥珀色だった。 十六歳にして百七十センチを既に越える長身で、すらりと伸びた手足に緋色の地に金糸の刺繍で縁取りされた軍服を身に纏っている。 直立の姿勢から軽く会釈した女性は、カイトをまっすぐに見つめながら口を開いた。「ウァティカヌス聖皇国、ロザリオ魔道士団の第三席次を預かる、アルトゥーラです」
「はじめまして。カイト・アナンです。エルヴァ卿にはお世話になっています」アルトゥーラの整った眉が、カイトの口にした「エルヴァ」という名にピクリと反応する。
「残念ながら、エルヴァを父だと思ったことはありません」
「そうですか……じゃあ、アルトゥーラ卿と俺は似た者同士かもしれませんね。俺も母親の再婚相手を父親とは認識できなかったので」自分の身の上を明かして微苦笑を浮かべるカイトを見たアルトゥーラは、微かに驚く様子をみせてから表情をわずかにやわらげた。
「カイト卿のご到着に際し、ロザリオ魔道士団を代表して歓迎の挨拶に伺いました、が、カイト卿と語らいたくなりました」
「ありがとうございます。それは嬉しいです。俺もアルトゥーラ卿のお話を聞きたいです」 「本日は雑務が立て込んでいるので、残念ですがここでおいとまいたします。お疲れのところ時間をいただき、ありがとうございました。明後日の聖皇陛下への謁見と、その後の祝賀晩餐会にはわたしも参列します。おりいった話はまたその折りにでも」 「はい、是非。楽しみにしてます」 「では、これにて失礼いたします」アルトゥーラは軽く会釈すると、くるりと身体を右に回してロビーを出て行った。
「末恐ろしい十六歳ですね……」
ホテルから出るアルトゥーラの背中を見送ったステラが、ぽつりと感想を漏らした。
「ですね」
ステラの感想にカイトが短く同意すると、セリカも自分の感想を付け加えるように口を開いた。
「容姿も十六歳には見えませんね。垣間見える繊細さだけは、思春期特有の空気をわずかに残してはいますが」
セリカの感想にうなずいたカイトは、アルトゥーラにとってのエルヴァという存在を思った。
「どうやら、アルトゥーラ卿にとってのエルヴァ卿は「いい父親」ではないようですね。俺にとっては「いい師匠」なんですが……同じ家で生活してても俺には父親と思えなかった母の再婚相手も、妹にとっては「いい父親」だったんだろうし。父親って角度によって変わるもんなんでしょうか……?」
このテルスという異世界にいるはずの実の父親と対面したときに自分は何を思うのか。そんな疑問がカイトの言葉を疑問形で終わらせた。
「まあ、アルトゥーラ卿にとっては、まったく帰国しようともしないエルヴァ卿を父親と思えってのは酷な話かもしれませんね」
カイトの心境を察して敢えて軽い口調を選んだセリカに対して、ステラが「まあ、それもあるかしらね」と苦笑を返した。
「それも? 他にもありますか?」
ステラの含んだ物言いにカイトが小首を傾げてみせると、カイトと視線を合わせたステラは、
「エルヴァ卿は、こと女性に関して奔放に過ぎます」
とバッサリ斬り捨てるように言い切った。
「世界最強の偉大な魔道士にして女性にはだらしない父親ってわけですか……思春期の女子からすれば嫌悪感を持つなって言うのは無理な注文かもしれませんね……」
カイトの感想は「父である前に男」なエルヴァと「男である父を嫌悪する娘」なアルトゥーラという親子に対して等しい同情を含むものになった。
明後日の昼過ぎ。 カイトとその護衛役であるセリカとステラ、事務方として随行するスペイドの四人は聖皇の宮殿へと向かう馬車に乗り込んだ。 聖皇の宮殿はカイトたちが滞在するホテルのある高台よりも少し高い丘陵にあり、テルスで最大級の教会建築であるサン・フィデス大聖堂と隣接していた。 快晴ということもあって世界的に名所として知られるサン・フィデス大聖堂は多くの巡礼者や観光客でごった返していた。 大聖堂の賑わいとは対照的に、隣接する聖皇の宮殿は静寂に包まれていた。 宮殿の車寄せに乗り入れた馬車からカイトたちが降りると、緋色の祭服を着た聖皇国の枢機卿が出迎えた。 枢機卿に先導されてカイトたちは宮殿の奥に進んだ。 謁見の間の細長く四メートルほどの高さがある扉の前に到着すると、スペイドと枢機卿は扉の前で待機した。 白で統一された天井の高い謁見の間には、アルトゥーラと長身の女性の二人だけが待機いた。 長身の女性は赤銅色の長い髪を結い上げており、アルトゥーラと同じロザリオ魔道士団の軍服を着ていた。「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」 長身の女性がやわらかく響く声でカイトに呼び掛けた。 カイトが女性の声に従って謁見の間の奥へと足を進めると、長身の女性はカイトに向かって深く頭を下げた。 頭を下げて応じたカイトに、顔を上げた長身の女性は柔和に微笑んでみせた。「ロザリオ魔道士団の次席を預かる、クーリア・マクラーレンと申します。貴国でお世話になっているエルヴァの妻です」 やわらかな声と気品を併せ持つクーリアに対面したカイトは、アルトゥーラの母親とは思えない若さを保つクーリアの容姿に驚いたが、それを顔には出さないように努めた。「トワゾンドール魔道士団の首席魔道士を務める、カイト・アナンと申します」「聖皇陛下は直にまいります。少々お待ちください」 微笑みを絶やさないクーリアは、艶やかで成熟した魅力を放つ女性だった。 カイトが「はい」と短く返事を返したタイミングで、純白のローブモンタントを着た少女が謁見の間に入ってきた。 小柄な少女はつかつかと一直線に奥へと進み、一段高くなっている最奥に設置された豪奢で大きな椅子にちょこんと腰掛けた。「朕がフィデスである。遠路、大儀であった」 代替わりから数年ほどしか経っていない現在の聖皇は若い女性であるとは聞いてい
魔道士への位階の叙位と称号の授与に関する一切の事務を「聖皇から委任されている」という形をもって取り仕切るウァティカヌス聖皇国にあって、報道機関への対応を一任されているクーリアの「祝賀の主役であるカイト卿に疲れた状態で晩餐会に参席いただくのは申し訳ない」という配慮から、新聞社を始めとする報道機関の取材を回避できたカイトは、一旦ホテルへ戻って一息つく余裕を得た。 カイトとその護衛役であるセリカとステラ、事務方として随行する公使のスペイドが連れ立って宿泊するホテルへ戻ると、ホテルのロビーにカイトの戻りを待つ女性魔道士の姿があった。 金髪のショートボブで鼻梁はすっきりと通り、切れ長の目には濃い碧眼が光る女性は、漆黒の地に群青の縁取りがなされたラブリュス魔道士団の軍服を身に纏っていた。 すらりとしたスリムな体型で背も高い女性魔道士は、ホテルのエントランスからロビーへとカイトたちが入るのを視認するやすっくと立ち上がり、カイトに向かって深々と頭を下げた。「お帰りを、お待ちしておりました」 女性魔道士の落ち着いた低い声がカイトの耳に届く。 セリカとステラが身構える気配を背後に感じながらも、カイトは緊張を隠しつつ女性魔道士へ歩み寄った。「どちら様でしょうか」 女性魔道士の前まで近寄って問い掛けるカイトに対し、女性魔道士は品を感じさせる微笑を浮かべながら答えた。「セナート帝国のラブリュス魔道士団で第六席次を預かるシルビア・ゲルツと申します」「はじめまして。カイト・アナンです。それで、シルビア卿……俺をお待ちいただいていたようですが、どういったご用向きでしょうか?」 敢えて肩書きは添えずにカイトが質問を返すと、すかさずシルビアはなめらかな口調で答えた。「本日はカイト卿の位階の叙位と称号の授与を言祝ぎたく、突然の失礼を押して参上いたしました」「そうですか……ご足労いただき、ありがとうございます」 ほんの二年前に矛を交えた敵国であり、国交が戻った今も最も警戒すべき大陸の覇権国家セナート帝国。戦場においてはその大国の全権代理人となる筆頭魔道士団の第六席次が、急に目の前に現れたことへの警戒は解かずに、カイトは努めて穏便な姿勢で応じた。 隠しきれない緊張が顔に出ているカイトとは対照的に、落ち着き払った面持ちのシルビアは、カイトに向かって軽くうなずいてから自身の傍ら
その晩に催されたカイトの叙位と授与を祝賀する晩餐会の席で、カイトとアルトゥーラは約束した通りにお互いの身の上話に花を咲かせた。 当初の予定通りカイトたちはウァティカヌス聖皇国に一週間滞在した。 カイトは滞在中に、クーリアが選別した各国の新聞社に属する記者の数人と対面して取材に応じた。 太魔範士という称号への反響の大きさは、カイトの想定をはるかに越えるものだった。 各紙の紙面には『ミズガルズ王国の首席魔道士が二人目の太魔範士に』『聖魔道士にして太魔範士であるカイト卿が今後の世界情勢に与える影響とは』『覇王の次に新たな時代の旗手となるのは聖人か』といった見出しが踊った。 ミズガルズ王国への帰路も往路と同じく、白い髭がトレードマークのシルバラードが船長を務める大型の客船だった。 快晴に恵まれ真昼の陽射しを照り返す海面が眩しい、十一月としては暖かなスペツィア港には、カイトを見送るために足を運んだアルトゥーラの姿があった。「カイト卿。今回は短い滞在でしたが、また必ずお目にかかりましょう」 快活な笑みを浮かべるアルトゥーラが差し出した右手を、カイトは握り返して長めの握手を交わした。「はい。その日を楽しみにしてます」「なぜか、再会の日はそう遠くないような気がします。この国とミズガルズは遠いのに不思議ですが」「その予感が当たることを願うことにします」 カイトの言葉にアルトゥーラがくすりと笑う。「カイト卿からは下心みたいなものを感じないのも不思議です」「そうですか?」「ええ、わたしは自他共に認める男嫌いですが、カイト卿にはなぜか嫌悪を感じません」「そうですか。それは、ありがとうございます」「太魔範士であるカイト卿をこの世界は放ってはおかないでしょう。その一挙手一投足に注目が集まることになります。疲れたらウァティカヌスへいらしてください。小さい国ですがお連れしたい店はまだまだあります」「それは楽しみです。両手を手土産でいっぱいにして、また来ます」 ニカッと笑ったカイトが両手に荷物を持つジェスチャーを見せると、アルトゥーラは打ち解けた笑みを浮かべた。 カイトたちを乗せた客船はほぼ予定通りの航海を終えて、十一月二十五日の昼過ぎにミズガルズ王国の王都プログレに到着した。 王都の港には数日前からカイトを出迎えるために日参していたストーリアの姿があっ
セルシオに先導されて移動した執務室へと入室したカイトたち三人は、セルシオにすすめられるままソファへ腰掛けた。 重厚なデスクの上にあった一通の書簡をセルシオは手に取ると「セナート帝国からの招待状です」と言い添えてカイトに手渡した。「セナート帝国? 招待状、ですか……?」 オウム返しに仮想敵国の名を口にしながら、カイトは書簡に目を落とした。「カイト卿の聖魔道士および太魔範士、その授与を祝賀するセナート帝国主催の晩餐会への招待状です」 カイトは書簡の文面にざっと目を通した。「これは……赴かない訳にはいきませんね……」 顔を上げたカイトが感想を口にすると、セルシオは首肯を返した。「左様です。セナート帝国と我がミズガルズ王国は現在、正式に国交を回復しております。読んでいただいた通り、シーマ皇帝の署名が入った正式な招待状です。これは、断れません」「……それにしても、急ですね」「ええ、さすがと言うべきでしょうか……セナート帝国の動きは常に早く、その速度で大陸の覇権を手にするまで勢力を拡げた国です。併せて、新たな動きも確認しております。先月にはピャスト共和国と、そして今月に入ってはロムニア王国とセナート帝国は停戦協定を結んでおります。オルハン帝国とも水面下で交渉中なのは確実でしょう。近く、西方戦線の緊張が一旦とはいえ解ける形となります」「それは……ミズガルズにとって吉報なんでしょうか……」 カイトの不安を隠さない問いに対し、セルシオは一呼吸置いてから答えた。「実際の距離も形成されてからの経過も長い西方戦線に初めてとなる停戦の動き、となれば次に緊張を強いられるのは、南のヒンドゥスターン帝国。そして、東南エイジアに勢力を伸ばしたブリタンニアの統治領となるでしょう……今は見守るしかありません。現在の情勢下にあってミズガルズ王国としては、静観の一手しか打ちようがありません」「そうですね……では、俺は招待に応じてセナートに赴くとします」「はい。お願いいたします」 決意を口にしたカイトへ軽く頭を下げたセルシオが視線をセリカとステラへ移す。「セリカ卿、ステラ卿。引き続きセナート帝国へ赴くカイト卿の護衛の任を引き受けていただきたい」「承知しました」 セリカが即答すると、ステラは質問を返した。「日程はどうなりますか」「招待状に添えられたもう一通の書簡によ
ウァティカヌス聖皇国で太魔範士の称号を授与されたカイトが、ミズガルズ王国へと帰国した二日後の水曜日。 師走を目の前にする十一月二十七日の昼過ぎ、王都プログレの港にセナート帝国の威光を示すように黒光りする装甲板で固められた大型汽船が入港した。 乾いた北風が冬の匂いを運ぶ中、シルビアがミズガルズ王国の地に降り立つ。 年末の賑やかな港にあっても、シルビアが纏う漆黒のラブリュス魔道士団の軍服は異様な迫力を有しており衆目を集めた。 忌避を含んだ視線を集めるシルビアには、人々の視線を気にする様子はまるで無かった。 シルビアを出迎えるために港へと赴いたのは、アルテッツァとセリカの二人だった。 隠せない警戒が表情に垣間見えるセリカとは対照的に、シルビアとアルテッツァは微笑を浮かべて対面した。「お待ちしておりました。遠路のお務め、誠にお疲れ様です」 朗らかな微笑を崩さずに右手を差し出したアルテッツァに対して、シルビアも余裕の笑みを浮かべたまま握手に応じた。「これはアルテッツァ卿。高名な卿に、わざわざ出迎えいただくとは光栄です」 初対面でも当然のように顔と名前が一致するだけでなく余裕を持って対応をするシルビアに対し、アルテッツァは警戒を強めたが表情に出すようなことはなかった。「滞在中の用向きは、遠慮なく私に仰ってください」「それは恐れ入ります。明後日には出立する身ですが、アルテッツァ卿のご厚意に甘えて、お世話になります」「急ぎの船旅でお疲れでしょう。ホテルへご案内いたします」「ありがとうございます」 微笑を浮かべながらも一切の隙がないシルビアの所作は、魔道士としての実力を暗に示すものだった。 それは並んで前を行くシルビアとアルテッツァの後に続いて歩くセリカにとっては、屈辱的な実力の差を痛感させるものだった。 シルビアはアルテッツァと同等の魔教士の称号を持ち、自分はその一つ下の称号となる魔錬士であるという事実を前にしたセリカは、否応なく襲ってくる劣等感を払いきれなかった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ シルビアがミズガルズ王国へ到着した頃、カイトは自室で次の行き先となるセナート帝国行きに向けた旅の支度をしていた。「お帰りになったばかりですのに……」 カイトの荷造りを手伝うストーリアが、何度目かになる言葉を口にする。「だよね」 カイトも何度目かになる
その日の夕刻にはシルビアを歓迎するという趣旨で少人数に限った晩餐の席が、ミズガルズ王国の宰相であるセルシオが自ら手配して設けられた。 王族や御三家と呼ばれる有力な貴族、国内外の流通を掌握する大商人などを顧客に持つミズガルズ王国内でも指折りの高級レストランが晩餐の場となった。 総座席数が百五十を越える規模でもミズガルズ王国内屈指のレストランにあって、限られた上得意のみが通される最奥の大きな個室が会場となった晩餐には主催のセルシオと主賓であるシルビアの他に、シルビアの案内役を自ら買って出たアルテッツァとパートナーであるセリカ、セルシオの計らいで招かれたステラ、そしてセナート帝国が主催する祝賀会への案内役としてミズガルズ王国を訪れたシルビアにとっての主たる対象となる首席魔道であるカイトが出席した。 シルビアを歓迎する短い挨拶を述べたセルシオが乾杯の音頭を取り、六人だけが参席する静かな晩餐は始まった。 微かに張りつめた空気の中にあっても、シルビアは余裕を感じさせる微笑みを絶やさなかった。 微笑を操るシルビアの様子に触れたカイトは、覇権国家の代理人としての自覚と自信をシルビアから感じ取った。 三杯目となる赤ワインが注がれたワイングラスを傾けてから、音を立てずにワイングラスをテーブルに置いたシルビアが口を開いた。「良い機会かと思いますので、帝都での祝賀会への招待に応じてくださったゲストについて手短にお伝えしておきましょう」 提案する口調で口にしたシルビアの言葉に対し、真っ先に反応したのはセルシオだった。「それは、ぜひ拝聴したく思います」 セルシオが短く促すのに応じて、シルビアはゆったりとした所作でうなずいてみせてから、カイトを主賓とする祝賀会に参列する魔道士の名を挙げ始めた。「此度の祝賀会に際して、王侯貴族はもとより政治家や資産家といった魔道士以外の有力者は一人も招待しておりません。魔道士のみを招待した祝賀会の席となります。ブリタンニア連合王国メーソンリー魔道士団の首席魔道士であられるヴァルキュリャ・ニューウェイ卿。ゲルマニア帝国アイギス魔道士団の首席魔道士であられるインテンサ・グンペルト卿。アメリクス合衆国ワキンヤン魔道士団の首席魔道士であられるトゥアタラ・シェルビー卿。ビタリ王国トリアイナ魔道士団の首席魔道士であられるウアイラ・ディナスティア卿。ガ
祝賀晩餐会を主催するセナート帝国から主賓であるカイトの案内役としてミズガルズ王国を訪れたシルビアの滞在は、当初の予定通り二泊三日の短さで終わり、十一月二十九日の正午にはカイトとその護衛役を務めるセリカとステラ、そして案内役であるシルビアを乗せたセナート帝国籍の黒光りする汽船は、プログレの港からヴォストークへ向けて出航した。 客船よりも軍艦に近い装甲板で固められた汽船は、セナート帝国が覇権を握った大陸とミズガルズ王国の領土として国を形作る列島との間にある縁海を予定通りに就航し、十一月三十一日の昼過ぎにはヴォストークの港へと入港した。 港湾都市であるヴォストークは、大陸の東端までを領土としたセナート帝国にとっての「極東の玄関口」となったことで急速に発展した都市だった。 地形に恵まれた歴史のある良港と、セナート帝国がその威信をかけて敷設した世界初となる大陸横断鉄道の「東方の始発駅」を擁する交通の要衝であるヴォストークの街は、足早に行き交う人々の活気に満ちていた。 セナート帝国というミズガルズ王国にとって最も警戒すべき仮想敵国でありながら最大の交易国でもある国に降り立ったカイトは「この大陸に父さんがいるのか」という感慨を覚えながら街並みを眺めた。 師走を前にしたヴォストークの街は、これまでにカイトが見た王都プログレやウァティカヌス聖皇国といった異世界の街よりも密度の高い賑わいをみせていた。「活気のある街ですね」 カイトが素直な感想を口にすると、街を案内するシルビアは微笑を浮かべて答えた。「このヴォストークは積極的に開発を進めるセナート帝国の中でも、勢いのある街の代表格です。お気に召しましたか?」「ええ、寒いですが、それに負けない熱気を感じます」 カイトの感想を聞いたシルビアは満更でもないといった表情を隠さなかった。 ヴォストークの中心地となっている大陸横断鉄道の駅前にあるホテルで一泊したカイトら一行は、朝の内にハルバ行きの汽車に乗り込んだ。 異世界テルスでは最新の移動手段である蒸気機関車は、特有の音と匂いを発しながら力強く疾走した。 大陸を疾走する車窓からの眺めは、カイトにとって旅の高揚感を伴うものだった。 夜半には目的地であるハルバに到着したカイトら一行は、駅から最寄りのホテルに宿泊すると、翌朝にはチタ行きの汽車に乗り込んだ。 カイトが想
カイトはミズガルズ王国を出立する前に、祝賀晩餐会のゲストとして招かれた首席魔道士たちの情報は頭に入れていた。 セルシオが自ら用意してカイトに渡した資料には、首席魔道士たちの顔が確認できる写真も添えられていたが、実際に対面したトゥアタラの印象は前もって写真で確認した時に感じた印象とは大きく違うとカイトは思った。 現時点で世界に二十名しか確認されていない魔範士。その二十人目として昨年の冬にワキンヤン魔道士団の第四席次に就任したヴェノム・ヘネシーの就任式典での集合写真に写っていたトゥアタラを見た際には、如何にもエリート軍人らしい威圧的な顔付きの二十四歳だとカイトは感じていた。「これは、トゥアタラ卿……!」 カイトは迷ったが「ここは素直に驚いたほうが自然だ」と判断してトゥアタラに声をかけた。 トゥアタラはカイトの前に立つと右手を差し出した。スムーズで壁を感じさせないフランクな動作だった。 百九十五センチという規格外な高身長でありながら虚勢を張る必要のない強者としてのエルヴァが、高圧的な態度を見せることがないのに似ているとカイトは感じた。「トワゾンドール魔道士団のカイト・アナンです。まさか三英傑のトゥアタラ卿とこんな場所でお目にかかれるとは思いませんでした」 カイトが握手に応じると、トゥアタラは大きく骨張った右手を軽くシェイクさせながら応じた。「いやあ、お会いできて良かった。この大陸に来てからというもの、まあ、退屈してたところでしてね」 屈託のない笑みを浮かべてみせるトゥアタラは、髪型を気にする様子の無い無造作な金髪に、青みがかった灰色の瞳とうっすらと伸びた無精髭とが相まって、所作と外見とで相手に緊張を与えない術を身に着けていた。「退屈、ですか……今はなぜヴァトカに?」「ちょっと早めに来てしまったんですがね、帝都に行ってしまえば高官なり貴族なりの歓待を断れないでしょう。迎賓館だの超が付く高級ホテルだのは、どうも性に合わないんですよ」 内心を打ち明けたようにも、この場で思い付いた口実にも聞こえる理由を答えてトゥアタラは笑った。片眉が下がった独特な笑い方だった。 好感を与える演技が上手い男ということだけは理解したカイトは質問を続けてみた。「俺たちが、いま到着すると知っていたんですか?」「ええ、うちの諜報は無駄に優秀でしてね」 隠さずに自分の背
アクーラが発した「ダイキ」の名に反応したカイトは、クラリティの前まで駆け寄ると父親の名前であるかを真っ先に確認した。「その、ダイキというのは、ダイキ・アナンですか?」「はい。聖魔道士であるダイキ・アナン卿です」「そうですか……」 言葉をつまらせたカイトへ寄り添うように、傍らへと歩み寄ったファセルが柔らかな声を掛ける。「カイト卿のお父様ね……魔道士団を構成する魔道士が十二名を超えたときには、通例として空位とされる第十三席次。その第十三席次に、ダイキ卿が就かれた。残酷だけれど、問われているわね。カイト卿の覚悟が」「……ええ、思ったより早かったですが……俺の覚悟が問われる局面ですね」「どうなさいます?」 ファセルの問いかけに対し、カイトは前を見据えたまま答えた。「……戦いましょう。俺は、トワゾンドール魔道士団の首席魔道士として遠征に加わりました。やらなきゃいけないことは、分かってるつもりです」「お父様と矛を交える事態にも、立ち向かう覚悟がお有りなのね?」「……はい。今の俺には、肉親よりも優先しなきゃならない使命があります」「結構。その覚悟が決まっているなら、わたしたちがカイト卿の矛となってさしあげましょう」「ありがとうございます。お願いします」 ファセルに向けて頭を下げたカイトの肩を、アクーラがグッと抱き寄せる。「このアクーラ・ウォークレットも付いてますからねえ。御安心召されよ、ってなもんなんですよお」「はい。ありがとうございます。心強いです」 アクーラの性格に救われた気がしたカイトは、固まっていた表情を微かに緩めて礼を述べた。 カレラはゆっくりとクラリティへ歩み寄ると、敵の主体であるラブリュス魔道士団に籍を置く魔道士たちの所在を訊ねた。「クラリティ卿。我々の敵となる魔道士たちは、今どこに?」「街の中央に位置する、広場に集合しています」「一般の兵は?」「後方支援に当たる一般の兵が小隊規模で帯同していますが、広場にはいません。ヒンドゥスターンの国軍に属する一般の兵が接収されることもなく、ラブリュス魔道士団と第六魔道士団に属するセナート帝国の魔道士だけが広場に集まっています」「そうですか。では、案内願えますか?」「はい。こちらです」 すぐさま首肯を返したクラリティの先導で、カイトら十名の魔道士で構成されたは四ヶ国の混合部隊
カイトら十名の魔道士で編成された遠征部隊を乗せた大型汽船は予定した航程を無事に進み、七日後となる四月十一日の朝に目的地であるベンガラの南東に位置する港湾都市チッタゴンの港に入港した。 セナート帝国側の抵抗を警戒した十名は、チッタゴンの港へ入港するのに合わせて甲板へ集合して哨戒に当たったが、港にはセナート帝国の魔道士はもとより、一般の兵の姿もなかった。「妙ですねえ……チッタゴンはどうでもいいってことですかねえ」 アクーラがぼそりとこぼした感想に、カレラはうなずきを返しながら答えた。「セオリーを無視するのはセナート帝国のお家芸だと聞いてはいたけど、実際に接すると気持ち悪いものね……ベンガラで迎え撃つ算段なのか、あるいは、すでに王都デリイに向けて全勢力で侵攻しているのか……」 ファセルが「どちらにせよ」と前置きを返してから、方針を口にした。「わたしたちの目的地が、ベンガラであることに変わりはないわ。早々に向かうとしましょ」 カイトたちを乗せた汽船は停泊の間を取らずに出航すると、ベンガラへの主要な交通手段として機能する深い河川を北上した。 何事もなく北上を続けた汽船は、昼前にはベンガラの河川港へと入港した。 カイトら十名の魔道士はチッタゴンに到着した際と同様に、甲板へ出て周囲を警戒したが、河川港にもセナート帝国の魔道士や兵の姿はなかった。 奇妙な静けさに対する気味悪さと拍子抜けを同時に感じながら、カイトはベンガラの河川港に降り立った。 河川港には最低限の着港に必要な作業員以外の人影はなく、警鐘だけが鳴り響いていた。「出迎えは警鐘だけですかあ。拍子抜けですねえ」 アクーラが全身を伸ばしながら感想をもらしたタイミングで、アクーラと共にメーソンリー魔道士団から遠征部隊に加わったエランが、前方を見据えながら警戒を促すようにアクーラへ声を掛けた。「その出迎えが、遅れて来たみたい」「おっと……あれえ? 一人ですかあ。というか、あの軍服……」 四ヶ国の筆頭魔道士団から選出された十人の魔道士に向かって、まっすぐに歩を進めるのはアパラージタ魔道士団の軍服を着たクラリティだった。 一人きりで四つの色が混合する十名の魔道士へ近付くクラリティの顔には、緊張の色がありありと表れていた。 アクーラはこちらに向かってくるクラリティを迎えるように、軽い足取りで歩み寄
天候に恵まれた四月四日。五ヶ国間での正式な締結を目前とする軍事同盟を構成する四ヶ国で、各々の筆頭魔道士団に籍を置く十名の魔道士で編成された遠征部隊を乗せた汽船は、予定通りに正午の時の鐘に合わせてウァティカヌス聖皇国の港から出航した。 無用の犠牲を避けたいというカイトの意向と、四ヶ国の筆頭魔道士団に所属する魔道士で編成された連合部隊という背景によって、後方支援に当たる一般の兵すら含まない十名の魔道士のみとなった遠征部隊。その規模には不釣り合いな聖皇国の手配した大型の汽船の船上では、出航直後から酒が振る舞われた。戦地へと赴く緊張を緩和させるためというのが一応の名目ではあったが、緊張した様子をみせるメンバーはいなかった。 中でも列強の筆頭魔道士団においてエースナンバーである第三席次を預かる魔範士、アクーラ、カレラ、ファセルの三人は前日の壮行会の余韻を楽しむかのように酒を酌み交わしていた。 三人の姿に触れたカイトは強者の余裕を垣間見た気がした。「カイト卿。飲んでますかあ?」 アクーラは声を掛けながらカイトに近付くと、右隣に腰掛けて半ば空いていたカイトのグラスにワインを注いだ。「あ、はい。どうも……」 カイトにとっての天敵。刃を交えるような事態は最優先で避けるべき存在である四人のうちの一人。 召喚した存在を憑依させることで自身を強化する反則級の魔道士であるアクーラが、肩が触れあう距離にいるという事態に、カイトは恐縮を隠すことができなかった。 カイトの反応を見たアクーラが、その豊満な胸を突き出してポンと右手で叩いてみせる。「このアクーラ・ウォークレットが一緒なんですから、安心して呑んでくださいよお」「はい。ありがとうございます。心強いです」「カイト卿はあ、いつでも、そんな感じなんですかあ」「そんな感じ、とは?」「えーとですねえ。冷静とはちょっと違ってえ、腰が低すぎる感じ?」「そうでしょうか?」 カイトが微苦笑を浮かべながら答えると、アクーラは語尾を伸ばす口調のままで指摘を口にした。「そうですよお。カイト卿は太魔範士で聖魔道士の首席魔道士なんですから、もっと堂々としてなきゃダメなんですよお」「魔力を持っているだけの駆け出しですよ、俺は」「いいですねえ。力への慢心が無いってのは、戦場では大事なことですよお。でも、力に見合う態度ってのが大事に
当初の見積もりよりも大幅に延びてしまった滞在に進んで付き合ってくれるだけでなく、独断と責められても文句の言えない今回の決断にも快く応じてくれるアルテッツァとセリカ、ステラの三人に向けてカイトは頭を下げた。「ありがとう……今回の遠征では太魔範士じゃなく聖魔道士として、ヒーラーの役割を果たしたいと思ってる。この身体は三人に預けます」 カイトの意思を聞いたセリカが「お任せ下さい」と朗らかな笑顔で答えながら、自分の胸をポンと叩いてみせる。 続けて「必ずお守りします」と答えたピリカも、やわらかな微笑みを浮かべてみせた。「お願いします」 三人に向けてもう一度頭を下げたカイトが、セリカとピリカの笑顔につられるように微笑む様子を見たアルテッツァが、会話を次に進める切っ掛けの仕草としてあごに手をやってから口を開いた。「それにしても……ファセル卿とカレラ卿、そして、あのアクーラ卿が同じ部隊に揃う姿を、この目で間近に見ることになるとは……当分は酒の席での話題にも困らないな」「その三人は、それだけ特別ってことか……」 あらためて今回の陣容を思い浮かべたカイトの呟きに、軽くうなずいてからアルテッツァが答えた。「ファセル卿とカレラ卿は西方を代表する魔範士として知られてるからね。アクーラ卿に至っては「鬼神」とも呼ばれた圧倒的な戦闘力で戦功を上げ続けた結果、出自やパトロンといった政治的な駆け引き無しに、格式を重んじるブリタンニア連合王国の筆頭魔道士団メーソンリー魔道士団の第三席次に就いてしまった。二十三歳で既に生きる伝説として語り種にもなってる御仁だ。それを抜きにしても、治癒魔法のみを行使するダイキ卿を含めても世界に二十人しかいない、魔範士が三人揃うだけでも凄いことだからね」 アルテッツァが挙げた理由の中でカイトが驚いたのはアクーラに関してではなく、ダイキについての事実だった。「なんか場違いでゴメン、だけど……父さんって、魔範士だったんだ?」 カイトの反応に驚いたアルテッツァは、目を丸くしてから明るい笑い声を上げた。「まさか知らなかったとは……いやあ、聖人の血筋には驚かされてばかりだ」「だよね……正直、父さんにはいまいち関心が薄いっていうか……掴めない存在だから考えないようにしてるっていうか……」 カイトの素直な打ち明けを聞いたアルテッツァが、同感を表すようにうん
遠征に自ら参加すると表明したカイトに対し、心配の表情を浮かべたヴァルキュリャが声をかけた。「カイト卿。卿は筆頭魔道士団の首席魔道士として貴国の国防を預かる身です。首席魔道士は国威の象徴として存在するのも役割の一つ。当然、それを承知の上での発言かとは思いますが……ここは、敢えて問います。本当に御自身が赴かれますか?」 カイトはゆったりとした頷きをヴァルキュリャに向けて返すと、努めて静かな口調で答えた。「ミズガルズ王国の現状を考えれば「俺が出る」のが最適解だと思います。俺は太魔範士であると同時に、治癒魔法を行使する聖魔道士です。俺が遠征に参加すれば、今回の遠征が持つ意味を担って戦地に赴く魔道士の方々の生存率は格段に上がります。それに、この場限りということで正直に打ち明けてしまうと、ミズガルズの国力は今回の同盟を結ぶ国の中で一段、低いのが現状です。ミズガルズ王国が同盟の中で役割を持つ、本当の意味で魔法国家として世界に認識されるには、首席魔道士として国威を背負う俺が直接、戦功を上げるのが最も分かりやすくて効果的だと考えています」 カイトの言い分を聞いたヴァルキュリャは「そうですか……」と短く呟き、理解を示しながらも心配の表情を変えることは無かった。 遠征に自ら参加する理由を打ち明けたカイトへの賛同を口にしたインテンサだった。「カイト卿の英断を尊重したいと私は考えます。さらに言えば、戦地へと赴く魔道士たちの安全を鑑みたカイト卿の思慮に感謝を申し上げる。卿の身の安全を優先するよう、同行することとなるカレラ卿には確と下命しておきましょう」 賛同を示してくれたインテンサに対して「ありがとうございます」と頭を下げたカイトの姿を見たシオンは、納得の表情を浮かべながら口を開いた。「わたしもファセル卿へしっかりと伝えておきます。今回の遠征を担う主要な顔触れは、以上で決定としてよろしいかと思いますが」 確認する間を置いたシロンが反論の無いことを受けてクーリアへと目配せすると、首肯を返したクーリアが会談を締めた。「遠征に関する四国の賛同と、遠征を担う魔道士についての人選も得られましたので、この会談はここまでとしたく思います。遠征の準備が整い次第、聖皇国から出航するという事で手配に入りたいと考えます。聖皇国としても出航までは全面的に協力することを、この場で約束いたします」
ヒンドゥスターン王国への侵攻を開始したセナート帝国の部隊が、ヒンドゥスターン王国の北東に位置する重要拠点であるベンガラを占拠したという報せは三日後の三月二十七日、ウァティカヌス聖皇国に滞在するカイトの元に届いた。 セナート帝国による侵攻の報を受けて、翌日の昼過ぎには対応を協議するための会談が聖皇の宮殿を会場として用意された。 聖皇国に滞在して同盟の締結に向けての調整に動いていたカイトら四名の首席魔道士と、宰相に就いた直後で王都を長く離れることが難しいドゥカティに代わり、聖皇国への訪問という形を取りながら滞在しているビタリ王国の外相ビモータ。そしてオブザーバーとして議事の進行を兼ねるクーリアの六名のみが会談に参席した。 進行役を兼ねるクーリアの、状況を整理する説明から会談は始まった。「三月二十四日。早朝の宣戦布告から、わずか数時間後にはセナート帝国のラブリュス魔道士団に在籍する六名、及び第六魔道士団の十二名で編成された部隊がベンガラへと攻め入りました。セナート帝国の南方元帥として知られるアリア卿が指揮する部隊は、ヒンドゥスターン王国のアパラージタ魔道士団に属していた二名の魔道士と、ブリタンニア連合王国のメーソンリー魔道士団から派遣されていた二名の魔道士を討ち取り、重要拠点であるベンガラの街をその日のうちに占拠しています。その際、アパラージタ魔道士団の第三席次に就いていたクラリティ卿は投降したとの事。まず、未だ正式な締結には至っていない同盟として、動くか否かを協議するべきかと考えます」 クーリアが説明を締めたのを受けて、シロンが蒼い瞳をヴァルキュリャへと向けた。「ブリタンニア連合王国としての正式な表明を待つまでも無く、メーソンリー魔道士団としては動かざるを得ない事態かと思いますが」「はい。シロン卿の仰る通りです。メーソンリー魔道士団は動きます」 シロンの問い掛けに対し、ヴァルキュリャはすぐさま明言をもって返した。 インテンサが長く骨張った両手の指を組み合わせたまま口を開く。「五国間の同盟、とは言っても実質は四国による軍事同盟ですが……いずれにせよ軍事同盟については未だ実務レベルでの協議中であり、正式に締結はされていない。しかし、その協議に要する時間を狙ったかのように、同盟の主たる仮想敵国であるセナート帝国が起こした侵攻であること。宣戦布告と同時に
刹那にも思える短い時間で四つの命を奪い、次の刹那には自分の生殺与奪を握ったベルゼブブが消えたことで、クラリティは浅くなっていた呼吸を整えるように短く息を吐いた。 無邪気だからこそ残酷な子供の笑みを浮かべて目の前に立つ可憐な少女が、十六歳にしてセナート帝国で四方を預かる「四人の元帥」の一人として南方を任されている天才魔道士でありながら、戦闘狂として知られることで「狂乱の魔範士」とも呼ばれる存在だと、頭では理解できてもクラリティの感情は理解に追い付いてくれることはなかった。 「一つだけ……お伺いしても、よろしいですか?」 緊張で喉が詰まりながらも問い掛けを口にしたクラリティに対し、アリアは屈託のない笑みを向けて応じた。「うん。別に一つじゃなくてもいいよ? なに?」「今回の侵攻、その主な目的は、ヒンドゥスターンの併合では無いのですか?」「そうだよ。まあ、表向きはソレ? ってことになってるけど。ここに即席の仲良しごっこ同盟をおびき寄せるの。今回はそれがメインディッシュになるんだよね」「軍事行動そのものが目的、だとおっしゃるのですか?」「その把握で合ってるよ。まあ、卿は見物してればいいからさ。滅多に観れないショーが拝めると思うよ?」「……ショー、ですか?」「そう。遊びみたいなもんだよ。ボクにとって、きっと陛下にとっても、ね」 軽い口調でポンポンと答えるアリアの言葉は、クラリティにとってどこか異界に棲む妖怪の言葉のように聞こえた。 真相を隠そうとしているのではなく、隠さずに語る真相そのものが、自分の理解できる範疇を越えているんだろうとクラリティは感じた。「アリア卿と、皇帝陛下にとっての、遊び……には、この侵攻自体が含まれる、という意味ですか?」「陛下が遊びって言うのを直接、聞いたことはないけど。ちょっと考えれば分かるよ。本気で攻め込んじゃえばスグに飲み込めたロムニアとかピャストを残しておくために敢えて膠着させてた西方戦線とか、落とすならもう絶好のタイミングだった二年前のミズガルズ、とかさ? どう考えても面白くなるタイミングまで待ってるでしょ。陛下って」 理解できる範疇を越えていると感じた自分の直感は当たってしまったんだと、クラリティは諦観にも似た落ち着きを取り戻した。「アリア卿にとっても、戦争は「遊び」なのですか?」「戦争そのものは、遊び
ヒンドゥスターン王国内では精鋭とされる魔錬士として、十二名から成る筆頭魔道士団の席次に就いていたフリードとビートを、圧倒的な力量差であっさりと処理したアリアは顔色ひとつ変えることなく、ベルゼブブを召喚したままでツカツカと街の中心部に向かって歩き続けた。 アリアの軽快な足取りに合わせて、リラックスした表情を浮かべるヴァイオレットとシルビア、鋭い視線で周囲を警戒する第十四席のギャランが後に続いた。 ベンガラに暮らす住民たちは既に建物の中に引き籠もっており、無人となった街には警鐘だけが鳴り響いていた。 アリアは街の中心に位置する、大きな噴水のある広場で足を止めた。「さて、と。ここで待とっか。人の姿は見えないけど警鐘は鳴ってることだし、あっちから来てくれるでしょ。暑くてもう、歩く気しないしさ」 アリアが軽い口調のまま待機を指示した数分後。 噴水のある広場からほど近いベンガラの役場に詰めていた、メーソンリー魔道士団の軍服を着た壮年の魔道士が二人と、アパラージタ魔道士団の軍服を着た若い女性魔道士が広場に駆けつけた。 緊迫した様子で近付いてくる三人の姿を見たアリアは待ちくたびれた口調で「やっと来た」と呟きながら、呑気なあくびを漏らしてみせた。 背恰好の似た壮年である二人の魔道士は、アリアが召喚しているベルゼブブを目視すると顔を見合わせ、うなずき合うと同時に揃って召喚獣の名を喚んだ。「「タロース!」」 二人の重なった詠唱に応じて出現した、二つの直径二メートルほどで緑色に発光する魔法陣から、全身が青銅色の装甲で覆われた身長三メートルほどの人型をした二体のタロースが姿を現わす。 二体のタロースを見たアリアは、退屈であることを隠さず口にした。「ベルゼブブに対して耐刃性能に優れるタロースを選んだ、ってことなんだろうけど……まあ、土の属性魔法を使う魔道士として間違ってないだけで、平凡すぎるよね」 壮年の魔道士の一人が、泰然とした様子のアリアに奇妙な違和感を覚えながらも声を張り上げた。「ラブリュス魔道士団が、ベンガラの地に何用だ!」 切迫が声に現れている壮年の魔道士とは対照的に、アリアがくつろいだ口調のまま答える。「えーと、アルナージ卿かな? それともカマルグ卿? まあ、どっちでもいいんだけど。セナート帝国はね、今朝、ヒンドゥスターン王国に宣戦布告したんだよ
「宣戦布告も済ませた戦争で、この戦い方が国際法ギリギリなのは承知してるけど。面白くなさそうだったし、まあ、お互い最低限の口上は済ませてたし、ってことで。遅いんだもん。召喚前に「ちくしょう」とか言ってるようじゃ問題外だね」 アリアは吐き捨てるように呟くと、ベルゼブブを召喚したまま軽い足取りで歩き出した。 ラブリュス魔道士団に籍を置く三名が無言でアリアの後に続く。 けたたましい警鐘が鳴り響く中、アリアがベンガラの中心区画に足を踏み入れたタイミングで「クッレレ・ウェンティー!」と風の属性で基本となる魔法を詠唱する少年の声が、アリアたちの耳に届いた。 自身の速度を強化するクッレレ・ウェンティーによって高速で駆ける少年が、アリアに向かって一直線に接近する。 アパラージタ魔道士団の軍服を身に纏う少年の、左肩でたなびくマントに標されたナンバーはⅫだった。「シーカ・ウェンティー!」 少年は駆ける足を止めること無く詠唱を済ませ、風の力で成形された短剣を右手に現出させる。「ラーミナ・ウェンティー!」 少年は立て続けに風の属性魔法を詠唱するのに合わせて、アリアを指すように左手を突き出した。 風の力を刃状に成形して射出するラーミナ・ウェンティーを行使した少年の、左手から撃ち出された風の刃が回転しながら高速でアリアに迫る。 アリアは何ら反応することなく、歩く足を止めることさえしなかった。 平然と歩き続けるアリアに代わって動いたのはベルゼブブだった。 互いに近付いているアリアと少年との間に瞬間的に割って入ったベルゼブブは、脚の先に発生させた風の刃で少年が放った風の刃を難無く叩き落とした。「チッ……!」 舌打ちした少年は、右手に握っているシーカ・ウェンティーによって現出させた風の短剣を投擲した。 ベルゼブブが短剣を叩き落とす隙に、少年がアリアとベルゼブブから距離を取る。「うん。まあ、なかなかと言っていい動きかな? キミ、名前は?」 アリアが戦闘の緊張を欠片も含まない口調で、少年の魔道士に声をかけた。 少年はベルゼブブから目を離さずに答えた。「ビート……アパラージタ魔道士団、第十二席次のビート・ハセックだ!」「ふーん。ボクはアリアだよ。で、ビート卿。称号はお持ち?」「……魔錬士、だ」 ビートがベルゼブブを警戒しながらも素直に答える。「そっかあ……そ